海に出られない漁師は網を繕う

 ここ数週間ほど、夜半から朝にかけてどうも胸が痛い。呼吸がしづらいのはあるが、苦しい、というよりは痛いが正しいように思う。痛むのはきまって胸の中心あたりで(丁度ふたつの乳房の間だ)、突然殴られたような重い痛みが続く。深呼吸をすればおさまるというものでもないらしく、また、横になると症状が悪化するきらいがあるので、件の最中には仕方なく体を起こしている。さて、もう寝てやろう、などと思っても、眠りに入れるわけもなく、丑三つ時にかかって困り果てては睡眠導入剤を飲んでなんとか寝入るようになった。放っておくには恐ろしいと感じたので、循環器内科でかんたんな検査を受けたが、異常なし。心臓にも問題がないように見えるし、肺にみょうな影もない。心配ならば、あといくつか検査をしましょうか? 医師にそう問いかけられたところで、「一度、家で考えます」と伝えた。「どのみち当日には受けられないものなので、そうしてください」と物腰柔らかに伝えられる間も、胸の痛みは鈍く続いていた。帰路を歩くも、家路までが遠く感じタクシーを拾っても、家に帰っても痛いものは痛い。「はて、どうしたものか」とぼんやりしている現在まで、痛みのやってこない日はなかった。

 いわゆる未病状態に身をおくとき、いつも身体的な問題ならまだいいと思う。五体満足で産んでもらって感謝しているが、よくわからない不調に見舞われることが多い。<よくわからない>というのは、医者に聞けど本を開けど原因が思い当たらないということだ。加えてわたしは己の変化に疎い。痛みに鈍いのではなく、「気がついたらこうなってました」なんてことが多いのだ。身体的な問題ならまだいい、と言ったのは、おそらく精神的問題なのだろうと自覚しているからだ。身体的な問題であれば、対処的療法を選択できるかもしれない。そうならないこともあるかもしれないけれど。ひよわな自分が嫌になることは多いが、どうしたってひよわなのだから仕方ない。うじうじすることも多いが、最後には開き直るしかないのだと薄々気づいてはいるので、悩んだ末にはそうすることが多い。おい、なんでわたしの身体はこうなんだ? とか聞いても、誰も答えてはくれないし、精神の問題だと仮定するなら尚のこと、自分を責め立てても逆効果なのが明らかだからだ。

 それでも、生産性のない生活を送っていると自尊心は傷つく。仕事に出られず、どうにもできない胸の痛みを抱えながらも、「なにやってるんだろう」なんて思う。そもそも生きていることに幸福感を感じない罰当たりな部類の人間なので、自分が有用な人間に思えないことが痛手になる。それでも、一時よりは胸の内がどろどろしなくなったのは、「漁師は海に出られないときは網を繕う」という言葉をインターネット上で目にしてからだと思う。ありがとう、Tumblr。時代はPinterestなのかもしれないけれど、ずっと好きだ。なくならないでほしい(ちなみに、この走り書きはTumblrの宣伝ではない)。人生をなにかに例える言葉よりも、漁師の実務のなんたるかと知ることが救いになるとは思わなんだ。