きぶくれ

 わたしには生活というものがひどく不快で、眠るように過ごせたらと思うことが多々ある。あさ、目が覚めて、食事を取る。そうしないと生命活動を続けられないから。ひる、よると続ける。喉が渇くから水分を取る。身綺麗を保つために、顔を洗ったり、風呂に入ったりもする。必要だと感じるのに、それらすべてが煩わしい。この性質を持ち始めたのはいつ頃だったのだろう、とふと思った。

 いつからか、群れの中にいるのも苦手だった。ああ、そうか、うまくやらないと。これは死活問題なのだ。そう気づくまでは、そのことについて、ろくに思考さえしなかった。誰々があの人を好きで、あそこは付き合っていて、あの先生がうざい、だの、思春期の猥雑な話題にうまく迎合できなかった時点からいわゆる<普通>からは逸脱していたのか。そもそも他人に興味がなかったかとも考えたけれど、己の世界の中では好きに人を好きになり、心の中に留めるくらいのことはした。いつから世界がガヤガヤと喧しくなったのか。

 記憶力はいいと自負してきたけれど、最近になってむかしのことを思い出すのが難しくなった。病質のものではないと思うが、どうかわからない。気がついたら馴染み深い店が更地になっていたような感覚に頻繁になる。おそらくは、思い出したくないだろうと脳が判断した出来事がしゅんと蒸発するように消えていっている。今よりもっと青い頃のわたしは、人生のいかなる痛みからも逃げずにいたいなんて思っていた気がするが、それは無理だったようだ。いつのまにかほどけていた痛みもあれば、消されていく痛みもあるらしい。

 

 この頃、身体が疲れると視界が白ける。この間、大型の100均に行ったとき、陳列棚を右往左往してはついに立ち尽くした自分に少し驚いた。その感覚はとても不思議なもので、視力が落ちたような視界のぼやけ方ではなく、ありありと見えているのに頭の中に情報がまったく入ってこないという状態だった。探したいものが探せない。ガラクタの山の前に放り出されたように途方にくれた。おかしなこともあるものだなと少し面白くもなったが、同時に、この身体をはやく脱ぎ捨てたい、と思った。希死念慮とは少し違う。物心ついてから「なぜここにこうして生を受けたのか」という問いが頭の中でぐるぐると回っている。それはネガティヴではなく、子どもが大人に聞くように漠然とした<なんで?>の気持ちだ。両親の視点で考えるならば、父が家庭を持ちたかったからだろう。母にとっては結婚とはそういうもので、子どもが嫌いではなかったからだろう。では、わたしにとっては? フィクションの中で子が親に「産まなければよかった!」などと意地を張るようにはいかないが、<産まなければそもそも>と頭の中で考えをこねくり回したことは一度や二度ではない。きっと生きていることに意味なんかないんだろう。いつだかぽつんと浮かんだその言葉が今は一番の安寧だ。

 

 わたしは人と生きるのが難しいのかもしれないということを最近よく考えていて、思い立って『違国日記』を読んだ。フィクションであっても、あるがままに生きている人がこの世界に存在するのだということがどれほどの救いになるか。わたしはもっと物語を摂取すべきかもしれない。もとより空想の中で生きてきたようなものなんだから。

 

 見たくないものは見なければいいし、聞きたくないことは聞かなきゃいい。意志を固めればそうやって生きることは容易かもしれないが、まだどうすべきか迷っている。北国はちょうど季節の境目にあって、予期せぬ気候を気にして上着を脱げないままでいるように、わたしは今しずかに、何を捨てて何を持っていようか考えている。

 

 

 

ゆきがとけたら

 その日は、もう春がやってきたんじゃないかと思うくらいあたたかくて、積もった雪も溶けはじめ、軒先からはぼたぼた雫の落ちる音がした。道路もアスファルトが見えるほどになり、あちこちに水たまりができていた。本屋からの帰り道、雪に反射する光に差されて目を細めていると、向こうから女の子が走ってくるのが見えた。まだ中学年くらいだろうか、長靴も履かず、跳ね返る水もおかまいなしに走る姿がやけにまぶしくて、そっと道をあけた。感傷的になってしまうから、わたしは夏以外の季節が苦手なんだけど、春を好きだった頃だってあったなと懐かしく感じた。

 

 幼い頃、走っているときは他のことがどうだって良かった。生来、わたしは内向的な側面と外向的な側面を併せて持ち合わせていて、小学生の頃ならば、図書館で読書をする習慣を持つ一方で、休み時間は男の子の集団にひとり混ざりサッカーをしていることが多かった。当時は男の子より背が高かったこともあって、サッカーチームに入っているような子に重宝してもらえるのが単純に嬉しかった。運動不足もいいところである今となっては、どうしてあんなに走り続けられたのだろうと不思議に思うほど、毎日のようにボールを追いかけていた。当時は近年ほどの猛暑に見舞われることもなく、北国らしい気候の夏に駆け回り、風が運動で汗まみれになった身体を撫でてくれるのが気持ちよくて好きだった。妙な感覚だとは思うが、人間よりも動物に近い気分で生きていられた頃だと思う。余計なことを考える余地がなかった。退屈に感じていた授業の最中に、先生の話を耳半分で聞きながら、窓の外を眺めたって、思考の海に溺れることはなかった。ただ、大人になった未来の自分が想像できなくって、くすぐったい気持ちでいた。

 

 大人になってできることが増えたって、今も未来のことなんか想像できなくって、思春期に悩み尽くした生きている意味なんて未だにわからない。社交性を養っても集団ではなんとなく浮いてしまうし、誰かといてもひとりぼっちだと感じることはいくつになってもある。忘れずにいようと思った人からもらった嬉しい言葉はすぐに忘れるし、忘れてしまおうと思い続ける過去は、折に触れて現れて目の前を真っ暗にする。生きていることそのものが稀有なことで、生き続けるばかりにつらく、絶望しそうになるほど胸の内の空洞は広い。

 こうして生まれてしまったのだから、三つ子の魂百まで変わらないのだと、ぐっと歯を食いしばることを覚えた。なんだってこんなに生きることが怖いのだろう。物心ついて、子どもだった頃の無防備な勇敢さをどこかに落としてきてしまった。それでも、毎年、春を迎えると胸がほころぶし、大好きな夏はまだかと待ちわびている。おそるおそるでもいいから、わたしはわたしの春を探したらいいのかもしれない。なぜ生きることはこんなに寂しいのか、塞ぎ込む気持ちはきっと消えないだろうけれど。

 

 

 

海に出られない漁師は網を繕う

 ここ数週間ほど、夜半から朝にかけてどうも胸が痛い。呼吸がしづらいのはあるが、苦しい、というよりは痛いが正しいように思う。痛むのはきまって胸の中心あたりで(丁度ふたつの乳房の間だ)、突然殴られたような重い痛みが続く。深呼吸をすればおさまるというものでもないらしく、また、横になると症状が悪化するきらいがあるので、件の最中には仕方なく体を起こしている。さて、もう寝てやろう、などと思っても、眠りに入れるわけもなく、丑三つ時にかかって困り果てては睡眠導入剤を飲んでなんとか寝入るようになった。放っておくには恐ろしいと感じたので、循環器内科でかんたんな検査を受けたが、異常なし。心臓にも問題がないように見えるし、肺にみょうな影もない。心配ならば、あといくつか検査をしましょうか? 医師にそう問いかけられたところで、「一度、家で考えます」と伝えた。「どのみち当日には受けられないものなので、そうしてください」と物腰柔らかに伝えられる間も、胸の痛みは鈍く続いていた。帰路を歩くも、家路までが遠く感じタクシーを拾っても、家に帰っても痛いものは痛い。「はて、どうしたものか」とぼんやりしている現在まで、痛みのやってこない日はなかった。

 いわゆる未病状態に身をおくとき、いつも身体的な問題ならまだいいと思う。五体満足で産んでもらって感謝しているが、よくわからない不調に見舞われることが多い。<よくわからない>というのは、医者に聞けど本を開けど原因が思い当たらないということだ。加えてわたしは己の変化に疎い。痛みに鈍いのではなく、「気がついたらこうなってました」なんてことが多いのだ。身体的な問題ならまだいい、と言ったのは、おそらく精神的問題なのだろうと自覚しているからだ。身体的な問題であれば、対処的療法を選択できるかもしれない。そうならないこともあるかもしれないけれど。ひよわな自分が嫌になることは多いが、どうしたってひよわなのだから仕方ない。うじうじすることも多いが、最後には開き直るしかないのだと薄々気づいてはいるので、悩んだ末にはそうすることが多い。おい、なんでわたしの身体はこうなんだ? とか聞いても、誰も答えてはくれないし、精神の問題だと仮定するなら尚のこと、自分を責め立てても逆効果なのが明らかだからだ。

 それでも、生産性のない生活を送っていると自尊心は傷つく。仕事に出られず、どうにもできない胸の痛みを抱えながらも、「なにやってるんだろう」なんて思う。そもそも生きていることに幸福感を感じない罰当たりな部類の人間なので、自分が有用な人間に思えないことが痛手になる。それでも、一時よりは胸の内がどろどろしなくなったのは、「漁師は海に出られないときは網を繕う」という言葉をインターネット上で目にしてからだと思う。ありがとう、Tumblr。時代はPinterestなのかもしれないけれど、ずっと好きだ。なくならないでほしい(ちなみに、この走り書きはTumblrの宣伝ではない)。人生をなにかに例える言葉よりも、漁師の実務のなんたるかと知ることが救いになるとは思わなんだ。

 

 

 

浮かぶような日々を

 
 鴨が水面に浮いていた。揺蕩うとか言うのが正しいのかもしれないが、直感的に、あ、浮いている、と思った。秋の池は透明度が低いからだろうか。ぼうっと気を遠くにしていると、紅葉を待たず落葉してしまった葉と、自我があるのかないのかわからない眼差しを持つ鴨との間に、生死の違いをさほど感じなかった。今日に至るまで、鴨は自由気ままにあちこちを好き勝手に泳ぐ生き物だとばかり思っていた。単なる偶然だろうが、そのとき、綺麗に並んで同じ方向に進む鴨の群れを見て、バレエの群舞を観たような気分になった(ちなみにわたしはバレエを動画でしか観たことがない)。水面に轍が出来ては消える。それまで抱いていた心をかき乱すような気持ちがふっと消えた。だから水辺はいい。ずっと眺めていられると思った。

 

 昔から、ひとり目が覚めてしまう夜が怖い。余計なことばかりを考えるから。隣で平和に寝こける見知った顔がもはや憎い。わたしがこんなに寂しい想いをしているというのに、楽しい夢でも見ながら眠っているのだろう。いつも無意味に腹を立てた。携帯を買い与えられるような年齢でもなかった小学生の頃には、夜中に目が覚めてしまうと、することもないからカーテンの皺を見つめるのが習慣になっていた。豆電球の光もあいまって、そこには小さな魔女たちが集まっているように見えた。

 あるとき、幼い自分にも、「いつかはこうなるのだろうな」という自覚が芽生えた。今は、夜に目が覚めれば、迷惑にも母親を揺さぶり起こして、「眠れないのだ」と泣きつくことができる。いつか、それができなくなるだろう。そういう予感があった。小学校の近くで配られていた宗教勧誘のパンフレットの文言が頭にこびりついて離れない時期のことだった。「人は誰もが死を迎える」、「死後の救済を」。そんなことが書かれていた。それまで、人が死ぬことなど真剣に考えたこともなかった。親族が縁遠い家に育ったので、葬式に出る機会などほとんどなかった。物心もつかない頃に見た、祖父の白い骨が唯一の死の記憶だった。いつかは人はひとりになるということを自覚した夜は、初めて孤独を実感した夜となった。いつか母は死ぬ。わたしを置いて。落雷のような気づきだった。父のことを然程考えなかったのは、やはり子どもにとって母は偉大な存在だからなのだろうか。子どもながらに思い悩むようになり、朝な夕な死や孤独のことを考えた。三日だったのかもしれないし、一週間だったのかもしれない。耐えかねたわたしは、ようやっと不審な娘の様子に気づいた母の前で泣いた。わたしより先に死なないでほしい。今思い出してみると親不孝な言葉だ。その懇願を叶えてもらうためには、わたしが先に死ぬことになる。その日は、「まだ先のことだよ」とかなんとか適当に宥められ、それから眠れない夜はそれなりに減った。小学2年生の頃の話だ。

 今でも、ひとり目が覚めてしまう夜は怖い。横に友だちがいようが、恋人がいようが、安堵することなどない。いわば、眠りは死と似ているからだ。ひとり目が覚めてしまうと、いつか横で眠っているそれらは失われることを自覚させられる。わたしの宗教観はどうなっているのだろうと度々考えるが、おそらく天国や極楽浄土など信じていないのだろう。個人的に宗教学やスピリチュアルに関心はあって、調べはするものの、ここに至るまで何もピンときていない。死んだことなどないから、当たり前だろうか。死んだわたしに待ち受けるのは、孤独な世界に違いないという曖昧な恐怖が今もある。死んでみないとわかりようがないが。

 

 死んでいるのか生きているのかわからない日々は過ぎ、気がつけば目の前には現実が横たえていた。おーい、と声をかけ頬を叩くが、うんともすんとも言わず、ただ苦悶の表情を浮かべ、呼吸音だけが聞こえる。まだまだ状況は悪い。はたしてこいつに、生きている意味はあるのだろうか。いや、まだそれを考えるときではないのだ。やっと今を生きられるようになった。それだけでいいじゃないか。そう思うことにした。生きるしかないのだから。

 近頃になって、生きるしかない、と自然と思えたのは、おそらく生まれて初めてのことだった。前述のエピソードから想像できるだろうが、気がつけば死ぬことばかり考える子どもだった。そいつが大人になっても同じことだった。死は恐怖であり、終わりであり、救いであると直感で信じていた。ニンテンドー64にリセットボタンがついていることへの安心感と似ているかもしれない。使わないで済むならばいいけれど、いざとなったら使えるやつ。そんな認識だった。ここに来てやっと、使わないで生きてやろうじゃないかという反骨心が生まれてきた。

 実は、ここ一年はいろんなことがあった。まだ11月も始まったばかりだけれど、一年で五年が過ぎてしまったような疲労感がある。精神も病んだし、身体もおかしくなった。そうなっておかしくない出来事は、そりゃもう複数あった。わたしの精神など、どこからが正常なのかわからないが、過呼吸を起こしたのは、生まれて初めてのことだった。それを薬で抑えて働いているのが今だ。薬のない世の中に生まれていたら一瞬で人生積んでいただろうと思う。とりあえず過呼吸抑えて一日就業できたらわたしの勝ち。毎日それで生きている。やれることからやるしかない。

 薬の副作用なのか、宙に浮いているような感覚になることがある。それくらいでいいのかもしれない。みんな地に足をつけすぎなんだよ。少し浮いていると、なぜだか遠くまで見られるような感覚になれる。一ヶ月後のことはまだわからないけど、三日後にはドライブに行こう。山でもいい、海でもいい。自然が見たい。ここには、人間が浮かべる環境などないから。

 

 

幸せ恐怖症

 

 

 わたしはいつだって何かを恐ろしく感じ、忌避していると思う。きらきらと輝くものなんて特に怖いのだ。

 明るい人が怖い。明るいまま過ごすなんてわたしには苦行だから(無意識に偉いなあって引け目を感じてしまう)。明るい家庭が怖い。わたしはそんなの馴染みないから。ついでに言うと、偏頭痛持ちになってからは極度に明るい場所も怖い。頭痛が出るんじゃないかと不安になるから。理由なんかいくらでも付け足せるけれど、結局は直感的に怖いと思っているところが大きい。

 

 そういう性質をしていると感じるようになったのは、いつからだろう。思い出せないが、物心のつく頃には感性は鬱蒼としていた。小説や漫画でも明るい話は好まなかったし、好きな音楽はシングルになるような売れ筋でなく、アルバムに入っている、ファンでも話題にあげないような曲。気がついたらそうだった。どうしてだろう。未だにそう思っている。

 自分のそういう面を自覚しながらも、人前で鬱々とするのは気が引けるから、なるべく元気に振舞っていた。それでも陰気な女だと言われることもあった(直接伝えてくる無神経もいた)。その度、理不尽だ、と思った。明るさというトーンを世間一般のそれに合わようと苦心しているのに、あなたがたは受け入れてくれない。なぜなのか。

 それでも、社会人として働き始めて数年も経てば、人との適切な距離感というものを覚える。わたしにとって、それはとてもありがたいことだった。遠くもなく近くもなく、わたしの明るさ暗さもわからない距離にいてほしい。それがささやかな願いだった。

 

 しかし、滲み出してしまうものはある。このままのわたしでも受け入れてくれるのではないか、と感じさせてくれる人物というのは、時折現れるものだ。そういう出会いが苦手だ。とてもありがたい巡り合わせだとわかってはいるのに。そうは言っても、一瞬でも見えてしまった期待に抗うことはとても難しい。恐れつつも、少しずつ、自我を出す。わたしはこういう文化が好きで、こういう(大抵普通の人間は口に出さないような)ことを考える瞬間があって、こうやって生きてきました。なんてことのない問答でも、とても緊張する。ああ、やっぱりあなたではないのだ、と思える方がまだいい。受け入れてくれるかもしれないという柔さが、わたしはとても恐ろしい。誰だってそうなのだろうか。わたしが臆病すぎるだけなのだろうか。過去に、幸せ恐怖症だね、と人に言われた記憶が思い出される。

 こんなだから、当然、恋をするのなんか命がけだ。他人に何かを委ねることは恐ろしい。期待を持つことが恐ろしい。だって、たいていのものは、いなくなるから。そういえば、母がよく言ってた「動物は飼いたくない。だって死んじゃうから」は近しい感覚があるな、と思った。

 すべてのものが、うすらぼんやりしていた方が楽だ。だってわたしだって死んじゃうんだから。どこに根付くこともなく、人との距離は適切に測り、誰とも深い関係にならない。心を持っていかれるようなことに遭遇しないように努める。理屈の上ではそれでもいいはずなのに、どうしてそれだけでは満たされないんだろう。

 

 

外に閉じこもって朝が来て

 

 

 

  人の心の内など見えない。それは己のものであってもそう。ふっと見えなくなる時が来るというよりは、見えることの方が稀有だと思っている。何か食べ物を買うためにコンビニに来たのに、空腹なのに、ここにわたしの欲しいものはないので買わない。それと似たことが多々ある。これじゃない。これでもない。何を探しているのか、違うことだけがわかる。そういった時、わたしは自分の機嫌を取る方法さえわからない。例えるなら、家に帰ることさえ許されない。庭か、かろうじて風除室(わたしは北国産まれだ)にいることになる。羽目になる、までは感じていない。おそらく、わたしすらわたしのものではない。そう感じているからかもしれない。

  ひょんなことから家から追い出されたわたしは、最低でも一週間は家に戻れない。まさに、心ここにあらずという感じで生きる。面倒だけど、飯を喰らう。面倒だけど、排泄もする。面倒だけど、できれば、風呂にも入る。すべて豊かだからこそできることに違いなく-恵まれた環境にいるのも関わらず-、わたしはそれらができなくなることがある。そう、心が外に追い出されたから。ここで言う心とは、意識をも司っているから。

  そんなこんなで、家に入れてもらえる時はいつか来る。今まででは、来なかったことはない。ここでは、その時を朝と呼ぶことにする。朝になると、これまで家から追い出されていたのが嘘かのようにどこにでも行くことが許される。台所で食事を作っていいし、それを食べていいし、風呂に入っていいし、なんなら庭の外に出ていってもいい。会いたい人に会っていい。ここで初めて、わたしは閉じこめられていたもしくは閉じこもっていたことに気がつく。

  わたしの表情筋がうまく働かないとき、わたしは外にいる。わたしが会話を疎ましく思うとき、わたしは外にいる。間違いないのは、外にいても内にいてもわたしの意識は途切れないし、記憶も残る。ちなみに、今のわたしは、どこにでも行ける。

 

 

 

生きているだけで

 

 

 生きているだけで疲れる。

 これはわたしの為の映画だと思った。そんな人たくさんいる? 知るか知るか知るか。わたしの為の映画だ。

 

 最近、仕事を辞めた。元々固定職に就いている人間ではないけど、おそらく世間一般の大多数が想像するよりはわたしは仕事を変える頻度が早い。音楽がやりやすいようにと正社員雇用を選択肢から捨てているにしても、大抵長くは続かない。仕事についていけないのではない。人間関係に悩むでもない。ある日、突然螺子が切れたように身体に支障が出る。はた。またこれか。うんざりする時期の始まり。

 どうしてかはわからないけど、息がしづらいような。深呼吸をする。治らない。おかしい。何がいつもとは違うんだろう。口うるさい上司、いじめてくる先輩。ひとりでは抱え切れないほどの仕事量。終電ではとても帰れない勤務時間。違う。そんなんじゃない。ひとつも当てはまらない。同世代の人はそんな中でもがんばっていると知ってる。わたしはどっかおかしいんだ。いつからか諦めるようになる。そういう時期が来たんだから、仕方ない。場所を変えよう。

 なんでだろう。いつも浮いてる気がする。数センチくらいかな。もっとかな。日本語をしっかり喋っていて文脈にも問題はないはずなのに爪弾きにされたような感覚になる瞬間がある。宇宙人だ。そんな視線を向けられていると感じることがある。やめてください。わたしはあなたと同じ人間です。変なこと言ったつもりないよ。そんな気持ちが沸く。いずれは、もう人間じゃなくて宇宙人でいいよ、期待しない癖がつく。

 息ができないのも、なんとなく浮いてしまうのも、気の合う人といるときには起こらないことだ。わたしは気の合う人がいるだけで幸運な人間だと思う。『生きているだけで、愛。』の寧子はそういう存在にまだ出会えていないんだろう。それでも彼女の孤独に共感した。寧子みたいな気質の人に飲食のバイトはつらい気がする。知らんけど。わたしはつらいから。自分のことのように慣れない接客のシーンが痛い。なんでみんなができることを、わたしはできないんだろう。いつか感じたやるせない怒りが蘇るようだった。

 

 生きている中で、どうしようもなく誰かを好きになってしまう時期があることを知っている。思い出した。そもそも、わたしの持論では恋というものは天災と同じだ。否応なく出会ってしまう。天災あるいは引力。あるいは本能。

 あなたの存在に美しさを見出した。それをもっと見せてほしかった。相手からすれば知ったこっちゃない話だ。その癖、そんな理由で一緒にいることを決めたふたりというのは往往にしてぶつかり合う。気質があまりに違うだとかで。イリュージョンだ。おそらく、そばにいれば美しい風景をまた見られると信じてしまうほどの奇跡を出会い頭で見てしまったのだ。いや、魅せられてしまったのだ。もはや天災に違いない。隕石が落ちてきたからわたしは死んだ。時に恋とはそういうものである。

 

 わかんないならわかんないって言ってほしいけど、それはそれで傷つくのって勝手だね。わかってはいても、ぼろぼろと何かが自分の内側で崩れていっても、わたしたちは目の前の人に無意識に期待することを止められない。期待って、その人の一部分への信頼を予感することだと思う。「あなたのこういうところを愛しています」の先取りだ。予見だ。それによって、勝手に期待してよもや傷つけてなんてことはしたくはないのに、時に傷つき傷つけ合うこともある。

 みんながみんな、大事な人と互いを真綿でくるみあうように過ごせたらいいのに。そんなことできたとしても続かないってわかってる。わかっているし、真綿でつつみあうだけじゃわたしはやだな。時に内臓を掴まれるような何かがほしい。